忘れられる権利
「忘れられる権利」とは、過去の犯罪歴などの情報について、一定の期間が経過した後にインターネット上から削除することを求める利益などを指して用いられることがあります。
EUでは、一般データ保護規則(GDPR)17条の「消去権(right to erasure)」などが「忘れられる権利」と関連して説明されています。
もっとも、日本の最高裁判所は、現時点で「忘れられる権利」という独立した権利を明確に認めているわけではありません。
日本では、過去の犯罪歴などについて、個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益が法的保護の対象となることを前提として、インターネット上の情報の削除が認められるかどうかが判断されています。
一方で、新聞社や検索事業者、SNS事業者などによる情報提供や表現活動にも関わるため、憲法21条1項が保障する表現の自由などとの利益衡量が必要となります。
Google検索結果削除事件
最高裁平成29年1月31日決定(民集71巻1号63頁)は、検索事業者に対して過去の犯罪歴に関する検索結果の削除を求めた事件です。
この事件では、原告が2011年11月に児童買春の被疑事実で逮捕され、同年12月に罰金刑を受けました。その後、原告の居住する県の名称と氏名を検索すると、逮捕された事実などを含むウェブサイトのURL、表題、抜粋が検索結果として表示されていました。原告は、これらの検索結果の削除を求めました。
最高裁は、個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益は法的保護の対象となり、この利益が侵害された場合には、人格権に基づいて侵害行為の差止めを求めることができるとしました。
その上で、検索事業者に対して検索結果の削除を求めることができるかについては、当該事実の性質・内容、検索結果によって事実が伝達される範囲や具体的な被害の程度、本人の社会的地位や影響力、記事等の目的・意義、掲載時の社会的状況とその後の変化、記事等において事実を記載する必要性などを比較衡量して判断するとしました。
そして、比較衡量の結果、当該事実を公表されない法的利益が、検索結果を提供する理由に優越することが明らかな場合には、検索結果の削除を求めることができると判断しました。
本件では、児童買春という犯罪事実に関する情報であり、社会的に強い非難の対象となるものであったことや、検索結果が原告の居住する県の名称と氏名を組み合わせて検索した場合に表示されるものであったことなどを考慮し、削除を認めませんでした。
Twitter投稿記事削除事件
その後、最高裁令和4年6月24日判決(民集76巻5号1170頁)は、SNS上の投稿について過去の犯罪事実の削除を認めた事例です。
この事件では、原告が2012年4月に旅館の女性用浴場の脱衣所に侵入したとして逮捕され、同年5月に建造物侵入罪で罰金刑を受けました。
逮捕当日、報道機関が事件を報道し、その報道記事の一部を転載したツイートが投稿されました。その後、報道機関のウェブサイトから元の記事が削除された一方、ツイートは残り続け、原告の氏名で検索すると表示される状態となっていました。
最高裁は、プライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益は法的保護の対象となるとした上で、Twitter運営者に対して投稿の削除を求めることができるかについて、当該事実の性質・内容、投稿によって事実が伝達される範囲と具体的な被害の程度、本人の社会的地位や影響力、投稿の目的・意義、投稿時の社会的状況とその後の変化などを比較衡量して判断すべきとしました。
そして、公表されない法的利益が、投稿を一般の閲覧に供し続ける理由に優越する場合には、削除を求めることができると判断しました。最高裁は、Google事件で示された「優越することが明らかな場合」という基準をTwitter事件にそのまま適用することはできないとしています。
本件では、犯罪事実は軽微とはいえないものの、逮捕から約8年が経過していたこと、罰金刑の効力が失われていたこと、元の報道記事がすでに削除されていたこと、原告が公的立場にある者ではなかったことなどを考慮し、犯罪事実を公表されない法的利益がツイートを閲覧可能な状態にしておく理由に優越すると判断しました。
このように、検索事業者とSNS事業者ではサービスの性質や情報流通における役割が異なるため、最高裁はそれぞれについて異なる判断枠組みを示しています。
過去の犯罪歴などを削除できるか
過去の犯罪歴などの情報について削除を求める場合には、単に事件から一定期間が経過したというだけでなく、情報を公表されない法的利益と、情報を公表・提供し続ける理由を具体的に比較する必要があります。
例えば、次のような事情が判断材料となります。
- 過去の犯罪事実の性質や内容
- 犯罪事実についての社会的な関心や公共性
- 本人の社会的地位や影響力
- 事件からどの程度の期間が経過しているか
- 刑の執行や罰金の納付など、その後の経過
- 元となった報道記事が現在も掲載されているか
- 検索結果、SNS、ニュースサイトなど、どのような媒体で情報が公開されているか
- 情報が閲覧されることによって本人が受ける具体的な不利益
- 情報を公表し続けることについて現在も認められる必要性があるか
これらの事情を総合的に考慮し、過去の犯罪事実を公表されない法的利益が、情報を公表・提供し続ける理由に優越すると認められる場合には、削除が認められる可能性があります。
もっとも、Google検索結果の削除とSNS上の投稿の削除では、最高裁が示した判断枠組みが異なるため、「事件から何年経過すれば削除できる」という一律の基準があるわけではありません。
